The Acception of Western Culture in the Meiji Era: The Case of Samuel Johnson (Japanese Edition)
Por Isamu Hayakawa
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本書は、明治日本においてサミュエル・ジョンソンがいかに受容されたかを論ずるものである。受容の3形態について考えるが、それらは深い関連がある。① 19世紀前半でもジョンソン系辞書は溢れていたが、明治の英学者たちは利用しなかった。しかし、ジョンソン辞書は間接的ながら日本人によって利用された。ジョンソン系のポケット辞書をもとに、『英和対訳袖珍辞書』の底本は編纂されたからである。このため、科学技術に関する語彙があまり収録されていない。明治に入り、これらの専門語彙を豊富に収録する英和辞典が希求され、スコットランドのオウグルビー編纂の大辞典を典拠として『附音挿図 英和字彙』が編纂された。② 明治の初めからジョンソンが英語大辞典を編纂したことは知られていたが、辞書そのものが語られることはまったくなかった。この状況下、上田万年は明治22年に東洋学会での講演でジョンソン辞書に言及した。彼の学生であった藤岡勝二は、明治29年の論文においてジョンソン辞書について述べた。両者の取り上げ方は、辞書そのものの記述内容や編纂方法というよりも、むしろ言語アカデミー運動の一環として論じられた。そこでは「国語」辞典が問題となった。③ 明治の青年たちの愛読書の一つは『西国立志編』だった。中村正直がスコットランド育ちのスマイルズの『自助論』を翻訳したものである。『西国立志編』は修身や道徳の書として扱われ、ジョンソンの金言や格言が広く知られるようになった。また、ジョンソンの『ラセラス』は、教科書として明治17年ころから大いに利用された。そこで語られることばは英語であるが、内容的には東洋の道徳心にも通ずるものがあるからだろう。その注釈書や翻訳書も生まれた。それらの書が世に出たのはほぼ明治20年以降である。『ラセラス』が英学生のあいだに広く読まれるようになり、ジョンソンはその作者として理解されるようになったが、道徳家としての基本像は堅持されている。これにもっとも大きく影響したのは、内田魯庵の『ジョンソン』(明治27年)である。しかし、多くの知識人とりわけ若い文学者が『ラセラス』に心を動かされたという事実をしっかりみる必要がある。この作品と真摯に向き合った明治の人々は、ジョンソンの格言やジョンソンの逸話に惑わされることなく、その作品の文学的価値を正しく評価している。
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