私の名前は江戸時代に地図を作った伊能忠敬と同じで、人生の旅をした様な気がする。
父親が兵庫県土木課の職員で、小学校は姫路から上郡、中学は上郡から宝塚と転校。高校は宝塚に当時高校がなく、宝塚南口にある父の職員住宅から夙川の市立西宮高校に通学した。大学は兵庫農科大学農学部、現在は神戸大学になっているが、宝塚から丹波篠山に通った。多方面に行く運命を持っていたのかもしれない。
平成二三年現在は就職難であり、津波・原発と不況感が強いが、私は戦後の食料難でも親が無事に育ててくれた事を考えると何とかなる、何とかするで余りこわがらずに立ち向かっていけると思う。
人間、衣・食・住の基盤で考えると、衣類は大量にあり、住まいも少子化で両親が持っている場合が多く、食もサツマイモでも生きてきた。日本の農業技術は世界のトップレベルで、上を見なければ何とかなる状態で、悲観して考える必要はないと思う。
さて、この物語のテーマである職探しだが、半年ぐらい食べていける金があれば何とかなると思う。私はブラジルに行き、言葉が充分でなく半年間職探しをし、金がなくなる前に農業組合で種農薬の店員の仕事についた。この間に言葉と農薬の勉強も少しはしていたので、その事が周囲の人に認められ、職につけたと思っている。
私は他人より優れているとは思わないが、人に劣る事はないと思う。初めての仕事にしても、それなりの勉強をすればやっていけると自分に云い聞かせていた。何回かは胸つき八丁だなと思った事があるが、失敗はほとんどなかったので、転職人生でも無事に七〇歳を迎える事ができた。
外国では有能な人が転職できるのである。若い人たちはこの本を読んでもっと海外へ出て、転職を良い方に進めてもらいたいと思う。
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