【No.121】量子観念論仮説〔(1)まとめ1~まとめ5〕
自分の心M1が住む世界W1は、自分の心が情報を持っている部分だけは物理状態が確定していますが、情報を持たない部分はすべての可能性が重ね合わせのままで確定していない、と考えます。これが[量子観念論仮説]です。
【No.122】量子観念論仮説〔(2)量子力学の不可弁別性〕
量子力学の「不可弁別性」は、世界が「質料」を持たず「形相」だけでできていることを暗示しており、「実在論」ではなく「観念論」が正しいことを示唆しています。
【No.123】量子観念論仮説〔(3){W}={W1}+{W2}→{W1}〕
自分の心が自分の世界について「○○○である」という情報を認識すると、{W}が「○○○である」を満たした{W1}と満たしていない{W2}とに分裂し、自分は{W1}の重ね合わせの中に住むことになります。
【No.124】量子観念論仮説〔(4)波動関数の形は心が決める?〕
1個の素粒子の周囲のポテンシャルをU(r)だと認識している観測者の心が、この素粒子の波動関数の形を決めているのではないだろうか?、という解釈を試みます。
【No.125】量子観念論仮説〔(5)U(r)なら|a〉、U'(r)なら|a'〉〕
1個の素粒子aのポテンシャルが、U(r)の場合もU'(r)の場合も、素粒子aの波動関数の形を|a〉または|a'〉に決めているのは、私の心Mです。
【No.126】量子観念論仮説〔(6)絡み合いの説明〕
量子力学のいわゆる「絡み合い」は、絡み合っている2個の粒子間で起きていると考えると、非常に奇妙です。両者の関係を認識している人間の心Mが引き起こしていると考えると、極めて単純明快になります。
【No.127】量子観念論仮説〔(7)意識=波動関数の収縮〕
量子力学の多世界解釈において、6つの世界W1~W6が微妙に異なる世界だとします。P氏はW1だけの中に住み、Q氏はW1+W2という重ね合わせの中に住み、R氏はW1+W2+W3という重ね合わせの中に住み、S氏はW1+W2+W3+W4+W5+W6すべての世界の重ね合わせの中に住んでいる、という事も有り得るという話です。
【No.128】量子観念論仮説〔(8)決定論と自由意志の両立〕
自分の脳B=B1+B2全体を観測している友人にとって、自分の脳はB1もB2も物理状態が確定しています。一方、B1だけに随伴する自分の心M1にとって、B1は物理状態が確定していますが、B2の物理状態は確定していません。
【No.129】量子観念論仮説〔(9)心なしに波動関数は収縮しない〕
自分が住む世界に存在している石ころは、世界について何も情報を認識できていないので、石ころの住む世界は無数の世界の重ね合わせのままです。自分が住む世界と石ころが住む世界とは異なるのです。
【No.130】量子観念論仮説〔(10)自由意志による世界の乗り換え〕
自分は自由意志により、自分の脳状態の時間発展を|Ba(t1)〉→|Ba(t2)〉ではなく|Ba(t1)〉→|Ba(t*)〉+|Bb(t*)〉→|Bb(t2)〉のように、ある程度好きなように選択できているのかもしれません。
【No.131】量子観念論仮説〔(11)波動関数の収縮は個人的〕
観測による波動関数の収縮は、観測した人にだけ起こり、観測していない人には起きていない、という説明です。
【No.132】量子観念論仮説〔(12)私(P+Q)と友人(Q+R)〕
「多世界解釈」の立場に立ち、3つの微妙に異なる世界をWp、Wq、Wrとします。[量子観念論仮説]では、私はWp+Wqに住み、友人はWq+Wrに住む、という場合があり得ることの説明です。
【No.133】量子観念論仮説〔(13)友人がこっそりと観測〕
二重スリット干渉実験です。友人がこっそり観測し、私がそれを知らない時、干渉は起きるでしょうか、起きないでしょうか?
【No.134】量子観念論仮説〔(14)量子暗号〕
量子暗号では、盗聴者イヴが盗聴した時点で、客観的に誰にでも波動関数が収縮する、と決め付けられ勝ちですが、アリスやボブにとって波動関数が収縮するのはイヴによる盗聴の有無を観測した時点だ、と解釈することも可能です。
【No.135】量子観念論仮説〔(15)量子ゼノン効果〕
「量子ゼノン効果」は、人間が観測しなくても、機械的な装置で観測していることを人間の心が「知っている」だけで起こる、という説明です。
【No.136】謎消論的証明〔(1)世界の初めは「空」M0である〕
科学的に実証も反証もできない哲学的問題に対しては、思考停止するよりも、できるだけ謎が残らない合理的な解釈を探し出すべきです。その場合に用いる「謎消論的証明」とは、「Pでない」と考えると謎が残り、「Pである」と考えれば謎が消滅することを示し、それゆえに「Pである」を結論しようという論法です。これを用いて「世界の初めは「空」M0である」を証明してみます。
【No.137】謎消論的証明〔(2)「色」M1、M2、M3、…の必然的発生〕
「謎消論的証明」を用いて、「「色」M1、M2、M3、…の必然的発生」を論証してみます。
【No.138】謎消論的証明〔(3)M0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕〕
「謎消論的証明」を用いて、「M0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕」を論証します。
【No.139】謎消論的証明〔(4)法則は実在しない〕
「謎消論的証明」を用いて、「法則は実在しない」を論証してみます。法則は心の中に観念として存在するだけです。
【No.140】独我論・独今論から「SB量子神学」へ
「SB量子神学」のテーマは、「哲学的解釈だけで、人間が感じる謎を完全消滅させることはできないものだろうか?」です。謎がすべて消滅する合理的な哲学的解釈を追究していくと、必然的に到達するのが「SB量子神学」です。
【No.141】記憶と推測が作る心の時間的な厚み(1)
様々な心の状態M0、M1、M2、M3、…の中で、過去の「記憶」を持ち未来を「推測」できる心Mpは、多数の部分が確率的に融合して時間の厚みを持つ心という固まりを作るため、時間の厚みを持たない心Mqに比べ、存在感が圧倒的に大きいのではないか?、という説明です。
【No.142】記憶と推測が作る心の時間的な厚み(2)
【時間の観念論】では、時間の流れは心の中に観念として存在し得るだけです。
【No.143】記憶と推測が作る心の時間的な厚み(3)
M3(t3)は、M3(t3)の視点に確率1で立つと同時に、M2(t2)やM4(t4)の視点にも確率1/32ずつで立っているし、M1(t1)やM5(t5)の視点にも確率1/1024で立っている、と解釈できます。
【No.144】記憶と推測が作る心の時間的な厚み(4)
m1~m5が過去の記憶も未来の推測もできないとき、これらは独立しています。いくらかでも過去の記憶と未来の推測ができれば、m1→m2→m3→m4→m5という時間の流れを感じます。過去の記憶と未来の推測が完璧で、m1~m5が完全に融合してmになれば、mの視点に立つことでm1~m5のすべての視点に同時に立てることになります。
【No.145】時間・空間はなぜ存在するのか?
「時間・空間の広がりを認識していない心」よりも「時間・空間の広がりを認識している心」の方が、ランダムに1つを選び出す時、圧倒的に選ばれる確率は大きい?、という説明です。
【No.146】「真理の実在論」対「真理の観念論」(1)
【真理の実在論】=「真理とは、人間の心によって認識されるか否かに拘らずに「実在」するものである。」と【真理の観念論】=「真理とは、人間の心の中に観念として存在し得るだけであり、心を離れて「実在」するものではない。」、正しいのはどちらでしょうか?
【No.147】「真理の実在論」対「真理の観念論」(2)
「空」はあらゆる○○○について、「○○○である」と「○○○でない」の片方だけに限定されていないので、「世界の初めは「空」である」には何一つ「仮定」が含まれず、従って「証明」の必要も無く、恒真だという説明です。
【No.148】「真理の実在論」対「真理の観念論」(3)
究極の真理〔ω〕=「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…が「半存在」しており、e「存在する」+f「存在しない」(0≦e≦1、0≦f≦1)である。」は、何一つ仮定を含まず、従って証明の必要も無く恒真だという説明です。
【No.149】「真理の実在論」対「真理の観念論」(4)
物理法則もまた、観測した時に初めて確定するというのが【真理の観念論】です。
【No.150】「真理の実在論」対「真理の観念論」(5)
なぜ我々は、確固たる物理法則に従う物質世界の実在という「マーヤー」(幻覚)を認識するのでしょう? 皮肉にも、「マーヤー」を認識する心ほどその存在感覚が大きく、ランダムに1つを選び出すときに選ばれる確率が桁違いに大きい、と言えそうです。
自分の心M1が住む世界W1は、自分の心が情報を持っている部分だけは物理状態が確定していますが、情報を持たない部分はすべての可能性が重ね合わせのままで確定していない、と考えます。これが[量子観念論仮説]です。
【No.122】量子観念論仮説〔(2)量子力学の不可弁別性〕
量子力学の「不可弁別性」は、世界が「質料」を持たず「形相」だけでできていることを暗示しており、「実在論」ではなく「観念論」が正しいことを示唆しています。
【No.123】量子観念論仮説〔(3){W}={W1}+{W2}→{W1}〕
自分の心が自分の世界について「○○○である」という情報を認識すると、{W}が「○○○である」を満たした{W1}と満たしていない{W2}とに分裂し、自分は{W1}の重ね合わせの中に住むことになります。
【No.124】量子観念論仮説〔(4)波動関数の形は心が決める?〕
1個の素粒子の周囲のポテンシャルをU(r)だと認識している観測者の心が、この素粒子の波動関数の形を決めているのではないだろうか?、という解釈を試みます。
【No.125】量子観念論仮説〔(5)U(r)なら|a〉、U'(r)なら|a'〉〕
1個の素粒子aのポテンシャルが、U(r)の場合もU'(r)の場合も、素粒子aの波動関数の形を|a〉または|a'〉に決めているのは、私の心Mです。
【No.126】量子観念論仮説〔(6)絡み合いの説明〕
量子力学のいわゆる「絡み合い」は、絡み合っている2個の粒子間で起きていると考えると、非常に奇妙です。両者の関係を認識している人間の心Mが引き起こしていると考えると、極めて単純明快になります。
【No.127】量子観念論仮説〔(7)意識=波動関数の収縮〕
量子力学の多世界解釈において、6つの世界W1~W6が微妙に異なる世界だとします。P氏はW1だけの中に住み、Q氏はW1+W2という重ね合わせの中に住み、R氏はW1+W2+W3という重ね合わせの中に住み、S氏はW1+W2+W3+W4+W5+W6すべての世界の重ね合わせの中に住んでいる、という事も有り得るという話です。
【No.128】量子観念論仮説〔(8)決定論と自由意志の両立〕
自分の脳B=B1+B2全体を観測している友人にとって、自分の脳はB1もB2も物理状態が確定しています。一方、B1だけに随伴する自分の心M1にとって、B1は物理状態が確定していますが、B2の物理状態は確定していません。
【No.129】量子観念論仮説〔(9)心なしに波動関数は収縮しない〕
自分が住む世界に存在している石ころは、世界について何も情報を認識できていないので、石ころの住む世界は無数の世界の重ね合わせのままです。自分が住む世界と石ころが住む世界とは異なるのです。
【No.130】量子観念論仮説〔(10)自由意志による世界の乗り換え〕
自分は自由意志により、自分の脳状態の時間発展を|Ba(t1)〉→|Ba(t2)〉ではなく|Ba(t1)〉→|Ba(t*)〉+|Bb(t*)〉→|Bb(t2)〉のように、ある程度好きなように選択できているのかもしれません。
【No.131】量子観念論仮説〔(11)波動関数の収縮は個人的〕
観測による波動関数の収縮は、観測した人にだけ起こり、観測していない人には起きていない、という説明です。
【No.132】量子観念論仮説〔(12)私(P+Q)と友人(Q+R)〕
「多世界解釈」の立場に立ち、3つの微妙に異なる世界をWp、Wq、Wrとします。[量子観念論仮説]では、私はWp+Wqに住み、友人はWq+Wrに住む、という場合があり得ることの説明です。
【No.133】量子観念論仮説〔(13)友人がこっそりと観測〕
二重スリット干渉実験です。友人がこっそり観測し、私がそれを知らない時、干渉は起きるでしょうか、起きないでしょうか?
【No.134】量子観念論仮説〔(14)量子暗号〕
量子暗号では、盗聴者イヴが盗聴した時点で、客観的に誰にでも波動関数が収縮する、と決め付けられ勝ちですが、アリスやボブにとって波動関数が収縮するのはイヴによる盗聴の有無を観測した時点だ、と解釈することも可能です。
【No.135】量子観念論仮説〔(15)量子ゼノン効果〕
「量子ゼノン効果」は、人間が観測しなくても、機械的な装置で観測していることを人間の心が「知っている」だけで起こる、という説明です。
【No.136】謎消論的証明〔(1)世界の初めは「空」M0である〕
科学的に実証も反証もできない哲学的問題に対しては、思考停止するよりも、できるだけ謎が残らない合理的な解釈を探し出すべきです。その場合に用いる「謎消論的証明」とは、「Pでない」と考えると謎が残り、「Pである」と考えれば謎が消滅することを示し、それゆえに「Pである」を結論しようという論法です。これを用いて「世界の初めは「空」M0である」を証明してみます。
【No.137】謎消論的証明〔(2)「色」M1、M2、M3、…の必然的発生〕
「謎消論的証明」を用いて、「「色」M1、M2、M3、…の必然的発生」を論証してみます。
【No.138】謎消論的証明〔(3)M0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕〕
「謎消論的証明」を用いて、「M0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕」を論証します。
【No.139】謎消論的証明〔(4)法則は実在しない〕
「謎消論的証明」を用いて、「法則は実在しない」を論証してみます。法則は心の中に観念として存在するだけです。
【No.140】独我論・独今論から「SB量子神学」へ
「SB量子神学」のテーマは、「哲学的解釈だけで、人間が感じる謎を完全消滅させることはできないものだろうか?」です。謎がすべて消滅する合理的な哲学的解釈を追究していくと、必然的に到達するのが「SB量子神学」です。
【No.141】記憶と推測が作る心の時間的な厚み(1)
様々な心の状態M0、M1、M2、M3、…の中で、過去の「記憶」を持ち未来を「推測」できる心Mpは、多数の部分が確率的に融合して時間の厚みを持つ心という固まりを作るため、時間の厚みを持たない心Mqに比べ、存在感が圧倒的に大きいのではないか?、という説明です。
【No.142】記憶と推測が作る心の時間的な厚み(2)
【時間の観念論】では、時間の流れは心の中に観念として存在し得るだけです。
【No.143】記憶と推測が作る心の時間的な厚み(3)
M3(t3)は、M3(t3)の視点に確率1で立つと同時に、M2(t2)やM4(t4)の視点にも確率1/32ずつで立っているし、M1(t1)やM5(t5)の視点にも確率1/1024で立っている、と解釈できます。
【No.144】記憶と推測が作る心の時間的な厚み(4)
m1~m5が過去の記憶も未来の推測もできないとき、これらは独立しています。いくらかでも過去の記憶と未来の推測ができれば、m1→m2→m3→m4→m5という時間の流れを感じます。過去の記憶と未来の推測が完璧で、m1~m5が完全に融合してmになれば、mの視点に立つことでm1~m5のすべての視点に同時に立てることになります。
【No.145】時間・空間はなぜ存在するのか?
「時間・空間の広がりを認識していない心」よりも「時間・空間の広がりを認識している心」の方が、ランダムに1つを選び出す時、圧倒的に選ばれる確率は大きい?、という説明です。
【No.146】「真理の実在論」対「真理の観念論」(1)
【真理の実在論】=「真理とは、人間の心によって認識されるか否かに拘らずに「実在」するものである。」と【真理の観念論】=「真理とは、人間の心の中に観念として存在し得るだけであり、心を離れて「実在」するものではない。」、正しいのはどちらでしょうか?
【No.147】「真理の実在論」対「真理の観念論」(2)
「空」はあらゆる○○○について、「○○○である」と「○○○でない」の片方だけに限定されていないので、「世界の初めは「空」である」には何一つ「仮定」が含まれず、従って「証明」の必要も無く、恒真だという説明です。
【No.148】「真理の実在論」対「真理の観念論」(3)
究極の真理〔ω〕=「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…が「半存在」しており、e「存在する」+f「存在しない」(0≦e≦1、0≦f≦1)である。」は、何一つ仮定を含まず、従って証明の必要も無く恒真だという説明です。
【No.149】「真理の実在論」対「真理の観念論」(4)
物理法則もまた、観測した時に初めて確定するというのが【真理の観念論】です。
【No.150】「真理の実在論」対「真理の観念論」(5)
なぜ我々は、確固たる物理法則に従う物質世界の実在という「マーヤー」(幻覚)を認識するのでしょう? 皮肉にも、「マーヤー」を認識する心ほどその存在感覚が大きく、ランダムに1つを選び出すときに選ばれる確率が桁違いに大きい、と言えそうです。